2007年6月30日 (土)

頭の中までガチゴチになってました

 日に日に少しずつではありますが、痛みや気持ち悪さが和らいできた気がします。
 昨日は合唱のレッスンの日で、正直「気持ち悪いし、やめよっかなー」とも思ったのですが、歌ってきたら、なんか身体がスッキリした気がしました。おしゃべりも沢山してきて、いい気分転換になったみたいです。


 さて、家でごろごろしていて、久し振りにむかーし買った本を読んでおりました。
 多湖輝 先生の『頭の体操』という本です。そこに、こんな問いがありまして。


『ここに、一つのありふれた物体がある。この物体を、三つの角度から投影したとき、●▼■となった。どんな形の物か』

 (光文社 発行    多湖輝 著    頭の体操  第1集  より)








 憂は何度も読み返してるので、既に答えは分かっているのですが、・・・この問題を見て、いろんなことに気付きました。







 とりあえず、答えですが、こういうものです。






 封筒というか紙コップというか。


 気付いた事なんですけど、一つの物事は自分の目線からは●に見えても実際は▼の部分や■の部分もあるんですよね。一見矛盾しているようなのに、共存している・・・・・、そういうことを最近の憂は忘れていたような気がします。
かたいのは身体だけじゃなかった、頭の中もかなり凝り固まってたなぁって。

 ●に見えるけど、別の角度から見るとひょっとしたら■かも知れない、▼かも知れない。いやいや、もっと予想もしないような形が隠れているのかも知れない・・・・・・、そういう風にいろんなことを考えていければ、心がずっと自由で安らかでらいれるのでは、しかも楽しい

 そんなことを思い出していました。
 
 はっきり言って、憂は気を抜くとすぐマイナス思考になるし、細かい事にこだわっちゃうし、うつに陥りやすい頭だと感じています。それでも長い間、発病にまで至らなかったのは多湖輝 先生の本をずーっと読み続けてきたおかげだったのかな。いつも『発想の転換』『思考の飛躍力』っていう感じで本を出して提案し続けてくれていたんです。
また、ちょっとずつ読み返していこうと思いました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年6月22日 (金)

プロの覚悟

 今日は、合唱のレッスンの日でした。そこで、ちょっと気持ちがもやっとしたことがあったので書きます。

 憂は先日、今やっている合唱曲のCDをネットで買いました。出来上がりを聴いてみた方が歌いやすいと思って。で、結構いい音だなって思ったので、先生に話したら、先生も聴いてみたいって事になって、今日、持って行きました。

 聴き始めて数秒で、



 「私のはこんなものじゃないね」




 いわゆる、ダメ出しでした。

 ・・・・・うん、これが『もやっと』の原因。いやぁ、分かってたんですよ、先生が納得する可能性は低いだろうな、ということは。
 でも、なぜ、憂のなかで『もやっと』するんだろう・・・。
 いろいろ考えながら、帰ってきました。



 先生は、発声法、発音、ハーモニーの表現法など、いろいろな例を挙げて、「こういうのじゃダメなんだ」って言いました。先生のなかには、先生の世界があって、一音一音、一人一人一瞬一瞬そこに生み出される『音』にこだわって、音楽を作っています。
 先生は、プロの音楽家ですから。憂の倍近くも人生生きてますから。数多くのいろんな表現方法を体験して、その中から「コレが一番」っていう表現の技を自分であみ出しています。

 憂はそんな先生を尊敬してます。先生の作る音楽が好きです。
 憂なんて、この作曲者の方のこともさっぱり知らない事だらけだし、先生に比べたらいい音楽を聴く体験は「ぼちぼち」って感じだし、憂が「コレすごい!!」って思うものが先生にしてみたら「たいした事ない」って思っても全然不思議じゃない。っていうか、先生みたいに感じられないということは、極々当たり前のことなんですよ、ね。


 でも、『もやっと』したんですよー、心が。

 憂は、このCDから盗めるものがいっぱいある、って思った。曲全体の雰囲気とか、音程の正確さとか。
 そのCDの音楽から、自分に必要なエッセンスを抜き出す。
            ↓
 自分の中でイメージを作り、取り出したエッセンスを組み入れる。
            ↓
 自分の声質とか先生から教わった表現の技とか使って、先生の描くイメージと憂の描くイメージの重なり合うところで表現をする。


 ・・・・・とまぁ、こんなことをしたいわけです。

 けっして、聴いたCDのように歌おうという気はありません。


 だって、料理とかだってそうでしょ。
 おいしいカレーを食べた。隠し味に○○を使ってることが分かった。自分で今度作る時、初めに食べたカレーと全く同じレシピで作りますか?具はコレよりあっちの方がいいよね、とかスパイスの配分はコレとは違う方がいいなって、その方が断然レベル高いでしょう。


 ここまで考えて思ったんだけど、先生の『音楽家』としてのプロ意識と、憂の『表現者』としての(憂の場合音楽だけじゃなくて文章だったり編み物だったり、絵だったりいろいろだけど)心意気(プロとは言えませんからね)のすれ違い。
 そこが『もやっと』の原因なのかな、って思いました。

 あぁ、『もやっと』の原因が分かったら、『スッキリ』してきました。

 憂はどんな物事からも自分が今ほしいと思う『エッセンス』を取り出して、自分の中で消化して、自分が一番いいって思えるものを表現してく。それは憂のゆるぎない信条です。

 それから、先生のプロ意識に今日は改めて偉大さを感じました。表現者って、「自分が一番」っていう確信というか、自信というか、そういうものがないといいものが作り出せないのですよね。・・・そういえば、憂も教師してた頃そういう感覚あったなぁ。
ある意味、傍からそれを見る人にとっては、好きか嫌いかで評価するしかないわけで。

 憂もこれからプロの『表現者』になっていくためにはコレくらい強気な姿勢が必要なんでしょうね。
先生からは、こういう意味での生きるための『根性』も教えてもらえそうです。これが身に付いたら、憂は最強になれそう。・・・道は厳しいけどね。

 これからも、憂の美学を追求します!!

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年1月24日 (水)

ソリストとアンサンブル

 「ひーとはーぁ、かわいいー、かわいいものでぇすねー♪」・・・という、美空ひばりの歌詞の意味がなんとなく、分かる気がするなぁと、わが身の成長を感じております、憂です。

 さて、歌のレッスンでのお話。

 憂の参加している合唱団が4月22日に公演をします。憂以外の人たちは、何年か前から歌っていて、更に技術を磨いている状態です。

 つまり、憂はあと3ヶ月で舞台に立つんです、もうすでに、いつ舞台に立ってもいいような方たちと一緒に。
 プレッシャー?   感じないといえば、うそでしょう。けど、見てみぬ振り。できる限り。

 でも、やっぱり、少しでも上手になりたいし、気持ちよく歌いたいし、皆さんの足引っ張りたくないし・・・で、憂なりに、CD聴いたり、譜読みしたり、ラテン語訳を歌詞に照らし合わせたり、予習復習してます。
 もちろん、レッスンでも、一緒に受けている2人の先輩に追いつこうと、努力してました。

 そんな中で、突然先生が言いました。

 「今のとこ、一音目は歌わず二音目から、歌ってみようか」  にこっ

 それは、16分音符の続く、音程の取りにくい、しかも、結構高音の数小節。一音目は、歌わず、ピアノの音で、音程を修正しながら歌ってみようという提案でした。
 そして、歌い終えると、

 「うん、今度は、自分が音を取れるか自信のないところを省いてみて」  にこにこっ

 はい!?

 「今度はさっきとは違う音を省いて」  にこにこにこっ

 何度か、それを繰り返しました。そして、先生いわく、

 「どう?気がついた?」

 あ、・・・うん。2つ。 
 ひとつは、初めはみんな音程はずしてたのに、合うようになってきたってこと
 もう一つは、みんなそれぞれ結構音省いてるはずなのに、3人で出してる声は、初めよりグンときれいになってるってこと
 先生は、更に続けます。

 「みんな、一生懸命歌おうとしてるでしょ」・・・・・はい、もちろん

 「一生懸命になればなるほど、自分の声に集中しちゃって、周りの声、正しい音って耳に
   入らなくなっちゃうんだよね」・・・・・はぁ、確かに

 「だから、自分で音が狂いそうだなって思ったら、声出すのやめて、正しい音に耳を
   傾けるの
。絶対、正しい音程で歌ってる人がいるから

          ・・・・・なるほど。でも、憂、そうしたら、歌うとこ、なくなっちゃいそう(汗)。

 「ソリストはね、一人で歌うから、一音もはずせないし、省けない。そういう責任がある
   その代わり、一人で歌うから、誰に合わせるってことを考えなくていい。自分が解釈し
   たイメージを好きに表現できるんだ

 「アンサンブルはね、みんなで歌うから、苦手な部分を無理して音出そうとしなくてい
   い。得意な人に任せていいんだ
。その代わり、みんなが同じイメージをもって、同じよ
   うに表現する、そうしないと、全体のバランスが崩れちゃうんだ

 でも、一人一人声の質も違えば得意なものも違う、そういう持ち味がちゃんと反映されて
  るんだよ。メンバーが一人代われば音質が変わる。それが、アンサンブルのおもしろ
  いところなんだなぁ~」

 

 憂は、歌を習ってるのに、なんだか、もっと大切な事を教わってるって感じました。

 憂は、ずっと、ソリストになろうとしてました。歌で、じゃなくて、仕事でも、家でも、生活でも。けど、社会生活って、たいがい、ソロじゃなくて、アンサンブルです
 周りと協調しようとしながらも、一音も落とさないように、とか、自分が崩れたら、みんなが崩れるって思ってた。
 憂ががんばろうとすればするほど、ある人からは「憂さんみたいに全部に手を抜かずなんてできない」と言われ、ある人からは「みんなで分担してやるより、憂さん一人でやった方が、うまくまとまるんじゃない?」と言われ。
 いつのまにか、みんな頼る側頼られる側のどちらかに分かれてしまう。
 仕事をこなせた人は更に仕事を与えられ、失敗した人には任せられないと仕事を減らされる。
 なんだか、憂が病気になった一因が垣間見えた気がしました。

 みんなで、いい仕事をするには、この「アンサンブルの方程式」が大事なんだね。もちろん、合唱より、仕事の方が、完成形のビジョンや仕事をどう分担するか、すごく複雑で難しいけど。

 今、憂には、アンサンブルの中で自己発揮する、そういうことを学べるチャンスが訪れてる。これって、結構大きな、幸せです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年1月 4日 (木)

日野原先生のお話

 今日は、エゾリスの憂です。

 朝からテレビを見ていたら、うつぶせ寝の奨励で有名な日野原重明先生が健康の秘訣と題して、お話してました。95歳で、万里の長城登られたらしいです。おまけに、万里の長城の階段は、一段が、日本の平均的な階段の1.5倍の高さだとか。
 「私は脈拍120までは大丈夫ですから、それ以上上がり過ぎないように登ってきました」と、笑顔でした。
 ちなみに憂は、安静状態で脈拍110近くまで上がる事があり、そんな日は、寝ているだけでぐったりです。 比べ物になりません。
 日野原先生は亥年生まれだそうです。関係ありませんか・・・。憂は丑年です。のんびり、まったりがお似合いです(笑)。

 そうそう、その日野原先生がおっしゃってたこと。
 夢は大きな輪。
 自分はその弧になる。
 自分が輪の一部になって人を動かす事で、弧がつながり、いずれ、大きな夢を叶える輪になる。
 自分一人の線の長さは短い。一人で何かを成し遂げようとしてもその輪は小さい。大きな輪を作るには、自分が弧になる必要がある。

 ・・・・・、正直、咀嚼するのに時間がかかりました。でも、うん、なんとなく分かる、・・・かなぁ?憂が理解したより、もっと壮大な事をおっしゃってるのかも知れない。
 ただ、憂の頭は ポカ~ン でしたが、憂の心はすごく刺激的に感じ取ってました。

 これは、覚えておかなくては。今は理解できなくても、いつか、「あぁ、今憂は弧になっている。この達成感・・・」と悦に入るときが来るかもしれない。・・・・・そんな風に思って、今日ここに、書き留めました。

 95歳の大先輩ですものね。そう簡単に共感できる世界観ではないでしょう。

 いつもだと、頭と心がバラバラの時は大抵心が悪い方に暴走してしまうのだけれど、今日は心がいい方に敏感でした。

 今年は感性を磨く年にしたいなぁ。いい事も悪い事もまんべんなくアンテナ広げて。それでもつぶれない自分。とりあえず、ちっちゃい夢の輪です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)