2011年5月18日 (水)

あ、そうか

根本的に、私は何を求めているんだろう。

何かを得ても、何となく満たされないのはなぜだろう。

自分の中に、確固たる『自分』がいないのは、なぜだろう。

褒められても、うれしい時と、うれしくない時があるのはなぜだろう。

いろんな疑問・不安・不満を突き詰めていくと、こういうことになる。
(現時点で)


「私は、あなたとは違う人間だ」ということを、証明したい。


どんなに好きな相手でも、あなたと私は、個別の人間で、

あなたの思ったとおりの行動ばかりはできないし、

あなたの喜ぶ事ばかりもできない。

「わたしの期待通りだ♪」って褒められると、無性に否定したくなる。

嫌いな相手の真逆を生きようとする。

ホントはこうしたいのに、嫌いなあの人もやっているから、しないとか。


「私とあなたは、個別の存在だ」ということを証明したい。

「君がいなくちゃだめなんだ」なんて言われると、逃げ出したくなる。
支配される事も、吸収される事も、怖くて仕方がない。

だけど、一人じゃ、めちゃくちゃ寂しい。








私の真ん中に、私がいないのは、アイデンティティーが出来上がってないから。
周りの人と、自分の『差』を探すことに躍起になっているから、
まだ、ちゃんとした『自分像』ができていない。

ある意味、他人と自分を比べることで、自分の存在を証明しようとしている。
そんなことをしていても、疲れるばかりで、本当にほしい答えは見付からないのに。


じゃぁ、どうしたら、唯一無二の、『自分像』に出会えるんだろう。


私に優しくしてくれる人たちのなかには、
「あなたは素晴らしいものをもっている。期待してるよ」
「~してくれるから大好き。これからもずーっと~してね」
のような、上から目線、下から目線の人がいるけれど、
どちらも、『頼る=自分の思い通りになってほしい』という気持ちが見える。
・・・それが、しんどい。

私が居心地のいい相手は、
私のいろいろな側面を分かっていて、同じ事でも、できる時とできない時があることも分かってくれていて、その都度、できることをシェアしていこう、っていう感じで、私を見てくれる人。
少数だけど、そう接してくれる人がいるから、なんとか、今私は社会の一員として生きていけている。

決め付けられるが嫌で、
「あなたはこういうタイプです」って分かったつもりになられると、しんどくて、
自分の中でも、「なんか偏ってるな」って思うと、それを修正しようと、
真逆のことをやってみたくなって、
それが、他人から見たら、「この前はできてたのに、今日はできないって???」って思われたり、
なんかつかみ所のない人だ、と思われたり、しているみたい。

どんな人でも、気分は固定してるわけじゃなくて、揺らいでいるのだけれど、私は、他の人よりも、その揺らぎが大きいのかな。
時には、浅い部分の価値観まで変わってしまうほどの揺らぎは、周りの人を振り回してしまうんだろうな。







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2011年1月 7日 (金)

元旦偶作 もどき

明けまして おめでとうございます。

今年もゆるゆるやっていきます^^;

今年のお正月は、いろんなことを考えていました。

正月から、重たい内容ですみません(汗)

気分の落ちてる人は、読まないでね。

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2010年4月 7日 (水)

カウンセリング4/7

少しずつ、頭の中が整理され、向かうべき道が見えてきた気がします。

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2009年3月29日 (日)

毒と薬

 ずっと考えてた。

 一人前の社会人になることは、毒にも薬にもならない人になることだと。

 本当は、そうじゃなかった。



 人の役に立つ、人を元気にする、人を癒す、そういう『薬』的な人も、度を過ぎれば、『毒』になる。
度を過ぎなくても、「そういう人は好きじゃないです」って、言う人もいるかもしれない。


 逆に、いつも人に頼ってばかりで、自分の思いで人を振り回して、人の気持ちを考えずに自分勝手なことをするような人・・・、「そんなあなたが大好きです」って言う人もいるかもしれない。
 そういう『毒』的な人がいるおかげで、救われてる人もいる。

 人はみんな、『薬』的な面も持ってるし、『毒』的な面も持ってる。



 毒にも薬にもならない自分だったら、ここにいるのは『私』じゃなくても、いいのかな?
 だから、私が自分の持っている『毒』も『薬』も隠す必要なんてない。


 ありのままの自分を未だ認められずにいる私。

 私が私でいいんだと、思えるように、今、何ができるのか、『知恵熱』を出さない程度に、考えます。


 ちょっとした、独り言でした。

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2009年2月13日 (金)

探しもの

wink今日の気分は、結構前向きですwink



 探しものをしています。

 うつ病で、仕事に行けなくなってから、ずっと探していたものです。

 なんとなく、もうじき見付かりそうな気がします。

 でも、気がするだけかも知れません。



 私の探しもの。


 それは、『生きる理由』。

 うつのひどい時も、そして今も、「どうしても生きたい」という確かな理由がありません。

 そんなもの無くても、もちろん生きられます。うつ病になる前はこんなこと考えたことも無かった。
 でも、今は、それがないと、ときどき、無性に不安になるのです。

 本当に、ここに居ていいのか。
 目の前の人は、私とかかわることで、嫌な思いをしていないか。



 うつがひどい時、死にたくなったけど、自ら死ねば、自分だけ楽になって、周りの人を傷つけることになる・・・、そう思って、死ぬ事だけはしないと誓った。
 でも、「もし事故や病気でこの命を奪われたとしても、悔いもない」って、今も思ってます。
 それに、もし、余命宣告をされたとしたら「あと数ヶ月、めいっぱい生き抜いて、楽になれる」・・・そんな風に思っています。


 だけど、一方で、そんな自分でいたくない、とも思うのです。

 「もっと○○したいんだ」
 「○○をするまでは死ねない」

 それ位強い『生きる理由』がほしいのです。


 若輩者のわがままな、そして、贅沢な身勝手な、思い・・・ですね。

 自分でもそのことは分かってます。

 実年齢よりも未熟な大人なので。




 別の言い方をすれば、『私の探しもの』は、『未来への希望』・・・かな?

 明日が来ることが、楽しみだって思える心。
 1年後の自分がどうなっているんだろう、ってワクワクする心。



 これが見つけられたら、もう、何にもいらない。いや、むしろ、欲しいものは何でも手に入ると思う。



 自分で頑張って見つけるものなのか、いつの間にか自然と側にあるものなのか、見えそうで見えなくて、ときどき、諦めそうになってしまいます。
 

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2008年8月19日 (火)

嫌な事があったら

 うつの具合が悪いと、ちょっとした事でイライラしてしまったり、悲観的になってしまったりするものです。
 家族の何気ない一言に、グサっときたりね。
 家族のなんでもないような行動にいちいちカチンときたりね。
 そのうち、将来も、ずっとこんな日が続いてくんだ、とか、なんか自分って恵まれてないな、とか、勝手にマイナス思考に陥ってしまうとかね。

 でも、最近、幼稚園勤務時代に覚えた歌を思い出すと、「ま、いいか」って思えることができるようになりました。



 『そうだったら いいのにな』という歌なんですが。
 基本、子供らしい発想豊かな、夢を描いたかわいい歌なんですけどね。
 明るい曲調で、終始「そうだったらいいのにな♪」と連呼します。

 じゃ、『どうなったら、いいのか?』・・・・・。

 例えば、

 ♪うちのお庭がジャングルで~、子犬のタロウがライオンだ~

Photo











♪そぅだったら いいのにな~ そぅだったら いいのにな~♪



♪サンタクロース捕まえて~ うちだけ毎晩クリスマス~
Photo_2












♪そぅだったら いいのにな~ そぅだったら いいのにな~♪






 ・・・・・、イヤだ、こんな家族。こんな生活を強いられるくらいなら、お母さんの暴言も、お父さんのおやじくさい仕草も、我慢できる。
 現実の方がずっといい。
 そう思うと、楽になるんですよ。

 以上、憂のマイナス思考脱却方でした。

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2008年3月30日 (日)

母との関係 2

 憂の母は、昔から、辛口です。褒めてもらった覚えが、さっぱりありません。

 「どうして、お母さんは褒めてくれないんだろう?」「どうしたら、お母さんは褒めてくれるんだろう?」って、子供の頃から、ずっと、いつも、考えていました。

 学校で先生に褒められた事を話しても、「そう」・・・でおしまい。
 テストでいい点とっても、「お母さんはもっとできた」・・・自分の自慢にすり替わります。
 何かができたことを報告しても「やっとできたか」の反応。

 だからかな?人に褒められても、(もちろん、嬉しいなって感じるのですが)「そんなに褒めてもらえるような事、憂は本当にしたのだろうか?」「義理で褒めてくれてるのかな。気を遣わせちゃったな」・・・って、心の隅に、素直に喜べていない自分がいるんです。

 未だ、誰に褒められるより、お母さんに褒めてほしい、そう思っている・・・んでしょうね。


 そういう親子関係から、「人に期待しても、それが叶わなかった時の絶望感」を感じることが怖くて、あまり人に期待をしないように、と心がけるようになりました。

 そして、逆に憂自身も、母に期待されずに今日まで来ています。
 何か、新しい事をしようと思うことを話すと、「ムリでしょ」「やめておきなさい」・・・大抵こんな返事です。
 だから、本当にやりたいことは、いつも、母には事後報告。「『できるわけない』なんて、言わせない」・・・なんていうおかしな(?)反発心が推進力になっていたりします。


 ただ、病気になってから、この関係がずいぶん変わってきました

 憂自身が、赤ん坊のように何にもできなくなって、感情を抑えることなく不快なときには泣き喚いて、そこから、少しずつ、いろんなことができるようになって・・・。

 母の反応も、依然とずいぶん変わりました。

 「いつの間に、そんな事できるようになったの?」
 「あんた、思ったより、バカじゃないね」
 「ありがとう」

 ・・・・・、こういうことを言ってくれるようになりました。褒め言葉に聞こえない方もいるかも知れないけど、憂にとっては、『お母さんに褒められた♪』言葉です。


 病気になって、親子をやり直せた、そんな風に思ってます。

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2008年2月 8日 (金)

『突っ込み』を科学る

 一日一善、ならぬ、一日一突っ込みを目標に掲げてみたのですが、結構、難しい~!!ですね・・・。

 憂なりに、『ステキな突っ込み』を考えてみたのですが、・・・。


 ① いいタイミングで突っ込む(間の取り方が重要)
 
② 簡潔に、分かりやすく突っ込む
 ③ テンションは高め
 ④ 言葉では相手を否定しながら、ニュアンスとしては、相手を認めている




 「また、余分な事にエネルギー使ってるな」という声が聞こえてきそうです(汗)。
 でもね、今回のテーマは、憂にとって、『生きる力』を培う手立てとなる、重要な課題なんです!!!


 で、

 ①と②は、即座に反応して、その場にピッタリ合った突っ込み方をできるといいのですが。『ボケ』が、自分のペースで、自分の好きな時にボケられるのと違い、『突っ込み』は、相手の『ボケ』があって、初めて成立するので、「いつくるかな」と、常時緊張感を伴います。

 ③は、テンションが低いと、『突っ込み』が、『いやみ』『ひがみ』に聞こえてしまいます。こうなってしまっては、言わない方がマシかな・・・、なんて。

 最大のハードルは④です。
 表面的には、相手を否定しながら、「君、おもろいなぁ」とか、「あんた、おいしいとこ持ってきますなぁ」とか、「いやぁ~、ナイス ボケ♪」とか、そういう相手がいい気持ちになるようなニュアンスを含んでいないと、平和的な『突っ込み』に、ならないのですよ。


 あれこれ考え、分析したがるのは、憂の癖ですので、するなといっても、それはムリ。しないと、欲求不満でストレス溜まりますから。

 でも、これができるようになったら、どんな人間関係も上手くいきそうな気がします。そして、その位、達成するのは難しい事だと言う事も分かりました。

 100%できなくても、もちろんいいとして、それでも、できる時には、できることだけ、できる分の70パーセント・・・位はトライしてみようかな、と思っています。


 はぁ~ぁ、やっぱり、基本『ボケ』の方が楽だな~。
 『ノリ突っ込み』なんて、憂には夢のまた夢、です。

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2007年11月 1日 (木)

もしも憂が馬だったら 2

 ふと、『ばんえい競馬』のことを思い出しました。北海道の、馬の障害物競走のような競馬。すごく重い荷物を引っ張りながら、坂道を上ったり下ったり。
 競馬だけれど、なかなか進まないの。

 もちろん、速い方が勝ちだから、みんな急いでます。
 でも、がんがん進んでしまうと、途中で息が切れて、力尽きて、馬は止まってしまう。ゴール寸前で、いくら騎手が鞭でたたいても一歩が出ずに、後ろから来た馬に抜かれていく事もあります。

 そうかと思えば、上り坂を前に、騎手が馬を止める場面もあります。
他の馬にどんどん追い抜かれていっても、騎手は馬の呼吸を見ながら、スタートの指示を出さない。そして、「騎手と馬」当人にしか分からない間合いで、歩き出す。それで、一番になっちゃうこともあるんです。

 どんなに他の馬に抜かれても、力が溜まるまで立ち止まる、辛抱強く待つその姿勢って、すごいですね。焦らない、自分を信じる気持ち、冷静さとモチベーションのキープ。

 今、憂のすべき事、立ち止まって、見つけます。

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2007年4月 1日 (日)

うそじゃないです

 今日から新年度ですね。

 憂も仕事を辞めて、丸一年経ちました。あっという間に経ってしまうのですね、一年って。

 一年前、憂は志をもっていました。っていうか、仕事を辞めるからには、これくらいの覚悟をしておかなければ・・・、という思い、かな?将来が不安だらけだから、この一年でこれだけは達成しよう、と思ってたことがあるんです。

 ① 編み物をグレードアップする。
 ② ブログで、うつ病の事を書く。
 ③ ②のブログが軌道に乗ったら、自分の作品を紹介するブログをつくる。
 ④ ものづくりが、仕事につながるように、足がかりをつくる。

 「この先一年の内に、将来に向けて、とりあえずスタートラインに立てるようになろう」その目標の具体案が、上記です。

 この間堕ちてた時、「毎日同じ事の繰り返しばっかりで、ちっとも前に進まない」・・・そんな風に思ってました。
 でも、振り返ってみると、目標の①~③は達成してました。④も実は・・・、お友達の紹介で夏に作った物を出荷する予定が立ちました。(まだ、成功とはいえないのですが)
 それに、目標以外のことでも。歌、歌い始めましたし。しかも、今月はコンサートに出ます。

 なんだか、足元ばっかり見てたから、同じところで足踏みしていたように思ってたけど、ふと遠くまで見渡すと、結構な距離、(少なくとも、一年前の自分が予想してたより)進んでたみたいです

 それを、素直に「よくやった」と自分を褒めてあげられる、そういう気持ちでい続けられるといいのですが。気分の波によって、自分の評価がすごい変動します自分を褒めてあげたい、この気持ちはうそじゃないのに、全然そうは思えない日もあるのですよ。さみしいことです。

 さて、この一年は・・・、

 昨年度作った人脈を濃いものにしていきたいな。そうすることが、憂が「社会的に生きる」ことのはじめの一歩になると重います。

 

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