2011年12月14日 (水)

変化

何か頼まれると、頭で考えるより先に口が勝手に「はい」と言っています…
誰かこの口にチャックを付けてください(笑)

最近の自分自身の変化と気付きについて。

私の好き・嫌いの視点が分かりました。
今まで『なんかわかんないけど、好き』って感じだったのが、『あぁ、こういう訳で好きなんだ』って。

私の好きなもの・こと

私の世界を広げてくれるもの・こと

今まで知らなかったことが分かる
そういう考え方もあるんだって目から鱗が落ちる
初めての体験をする

そういう経験を通して自分の世界が広がる感覚をつかめることが、私にとっての幸せなんだと。

ただ、うつ病になる前は、一つの方向に偏って広げようとしてた。
で、途中で行き詰まって、脇道も目に入らなくて、結局相当な距離を後戻りしなきゃ、な状況で。
だから、今度は新しい経験で世界を広げるにしても、いろんな方向に、浅く広く、時々深く、逃げ道を確保しながらやっていく、っていうのがいいのかな、と思います。


逆に苦手な人やものっていうのは、
私の世界を狭める人・もの
「やめた方がいいよ」「あなたには無理だと思うよ」「えー、めんどくさいー」
一緒に生活している相手にそう言われると、心底凹みます。
それとか、「あなたは私の言う通りにしていればいい」的な態度とか。
それらは、子どもの頃両親から受けた対応に見事に当てはまります。

ひょっとしたら、子どもの頃の不快感から逃れようとムキになった結果、自分を追い詰めたのかも知れません。

そこに『対話』を組み入れて、程よいバランスで世界を広げ、時に立ち止まり、振り返り、生き急がないことが、私の身の丈に合った幸せなんでしょうね。

ゆっくり生きること、その具体的なイメージが、やっとできたような気がします。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年1月22日 (土)

私のつま先は、どっちを向いてる?

なんか、また、ちょっと突っ走りそうになってた・・・みたいです^^;

続きを読む "私のつま先は、どっちを向いてる?"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2010年11月21日 (日)

生きる力

 教育界では、もうずいぶん前から『生きる力の育成』って謳ってるけど、『生きる力』って、すごく曖昧で、人によっても、時代によっても、くるくる変わっちゃうんですよね。

続きを読む "生きる力"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年2月28日 (土)

タイムリー♪

 今日から、成海璃子ちゃんの映画、『罪とか罰とか』が公開されるんですが、監督さんの名前を見たとき、あれ?見たことある?と思ったんです。


 ケラリーノ・サンドロヴィッチ



 そうそう、先日書いた記事の『有頂天』というバンドのボーカルやってた、ケラさんでした。

 だから、この映画、面白そう。

 璃子ちゃんも、「脚本読んだ時に『来たー!!』と思った」というほど、本格コメディーなんだそうです。


 それから、璃子ちゃんが、「もたれているイメージがあるなら、そんな物は壊してやろうと思った」と言っていました。

 ・・・・、なんか、分かる。私も、自分に対するイメージが固定化するのが、嫌。

 でも、人って、相手を理解しようとする時、「この人はこういうタイプの人だ」って一つの『くくり』を作ることで、安心するんですよね。私自身もそうですし。

 でも、私は、「憂さんて~な人だよね」と思われると、それを覆したくなっちゃう。(最近気付いた事ですが、こういう思考ぐせがあるようです)



 人はみんな、いろんなペルソナを持っていて、ある場面で優しい顔をしているからと言っていつも優しいわけではないし、がさつな行動をしている人でも、ある場面では、ものすごく几帳面だったりする。

 人は誰でも、そういう多面的な要素を持っている。だから、人っておもしろいし、かわいい。

 だから、私も、いろんな自分をもっと見せていけたら、日々の生活が楽になるんじゃないか、って思うんですよね。



 そういえば、この間、お店に来て下さったお客さんに、こう言われました。

 「あなたは、こういう物を作っているから、とても純粋で、汚れを知らない人なんでしょうね」・・・・・、失礼ながら、この方の考え方もかなり偏っていらっしゃるように思いますが(^^;

 そう言われて、ものすごくムキになって反論しちゃったんですよ。
 「いやいや、結構、汚れてますよ!!きれいな人間じゃないですって!!!」

 あとから、「いや、そんなに汚れてもいないけど・・・」と反省。




 こういう気質からも、『クリエイティブ・イルネス』の説明が付きます。
 自分の中の未開拓地を求め続けていないと、苦しくなっちゃうんですよ。一つの所に留まっている事ができないんですよ。少し定着したら、また新しい何かを求めたくなっちゃうんですよ。

そういう自分の気質を受け入れながら、comodoに生きられる方法、探していきたいと思っています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月20日 (金)

河合隼雄さん、ありがとう

 今朝、新聞を見て、びっくりしました。・・・河合隼雄さんが亡くなったと、報じられていたからです。

 憂が、最悪に落ち込んだ時期を通り過ぎて、生きる楽しみが見つけられたらいいなと思い始めた頃、テレビに出ている河合隼雄さんを偶然拝見しました。



  「うつ病はクリエイティブ・イルネス(創造的病)だ」


 もちろん、この言葉だけじゃなくて、その番組の中で、いろいろなお話を聞いて、「うん、そう、そうなの。憂もそう思ってたんだ。それが苦しかったんだ」って、感じて、そこから自分がどっちの方向に歩いていったらいいのか、細いけど、一本の道が見えたわけです。

 あの時あのタイミングでクリエイティブ・イルネスのお話を聞けなかったら、こうして文章を書いてる憂も、いろんな物作りをしている憂も・・・存在しなかったかも知れない。本当にそれ位大きな大きな宝物を憂はもらいました。

 亡くなられたことは、とても残念です。でも、今河合隼雄さんがこうおっしゃってた事も思い出します。


 (カウンセリングの中で)「うつで落ち込んでる人と一緒に沈むけど、私は絶対に希望を失わない」

  
  「辛いね、苦しいね」と共感しながらも、河合隼雄さんは『希望』という命綱をもっているから、一緒に沈んだうつ病の患者さんが上に上がろうという時、患者さんのエネルギーを倍増させてくれるんだろうな、と思いました。
 それに、河合隼雄さんのいう『希望』はただの楽観的な、なんとなくーな『希望』じゃなくて、すごくしっかりした、力強い『希望』だなって。それが、沈んでる側にも伝わってくるんですよ。テレビごしなのに。

 だから、今悲しいけれど、「河合隼雄さんが一緒に沈んでくれている」って思うと光が射してきます。


 もう、河合隼雄さんの生声は聞けないけれど、憂の心の中には、しっかりと残っています。これからも、きっと忘れない。それから、できれば河合隼雄さんのように、周りにいる人たちに接していけたらいいな、と思うのでした。



 こころより、ご冥福をお祈り申し上げます。 

 
憂を見つけてくれて、ありがとう。

   ※ クリエイティブ・イルネスの詳しいことは、『カテゴリー』から検索してみてください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年8月25日 (金)

憂式 クリエイティブ・イルネス

 ここからは、河合隼雄さんから離れて、憂の見解です。

 実際、ポコっと、出口が見付かったのは、寝たきりになってから、半年ぐらいの頃でした。それまでは、朝、目が覚める。
          まずいけど、少しご飯を食べる。
          気分がよければ毛布にくるまってひなたぼっこ。
                         (6月中旬まで寒がってました)
               悪ければ、布団の中で、しくしく泣く。
                         (泣きすぎでものもらいができました)
          夜、テレビを見る気になる。
          睡眠薬を飲んで寝る。
          とまぁ、こんな生活の繰り返し。

 きっかけは、母親に連れられて、手芸店に行った時のこと。かわいいな、これほしいな、って自然に思えたものに出会えて、そこからプラス思考な自発的行動が始まった

 何かの本で読んだけど、「何か楽しい事ないかなぁ、って探している人、実はもう、やりたいことは過去に経験している事の中にかくれてる」って。
 あぁ、確かに、憂は小学校のとき手芸クラブだった。

 それから、少しずつ、昔やってて楽しかった事を探りながら、折り紙やったり、編み物やったり。ただ、創意工夫は、ハードルが高いので、マニュアル通りにやれば成功するものを選んで。それから、難しそう、と思うものには手を出さない。あくまで、自然にやってみたい、もしくは、やめようと思ったけどやっぱり諦められない、って思えることをする。

 今は、いろいろちょっとずつ手を出して、「今日は編み物の気分」、「今日は編み物やる気ないけど、ビーズクラフトならできるかな」、って選択の余地さえ出てきた。・・・改めてそう思うと、すごいなぁ・・・。あ、もちろん、「今日はぼーっとしたい、寝たい」、そういう時は、欲求に逆らいません。

 ある方向にエネルギーが使えないなら、どこか別の方向に必ずそのエネルギーを使える場所がある。そして、その選択肢が多い方が、毎日何かしら、楽しいひとときを味わえるんじゃないか・・・、最近そう思えるようになりました。このブログも今では憂の楽しみの一つ♪です。

 楽しい事をやってみたい、そう思えるまでには、本人の努力とか、特効薬とか、あるわけじゃなくて、あくまで、なんか自然にそう思える時期が来るんです。どんな人にも、きっと来るんです。「焦らないで」って、言葉では分かってたつもりだったけど、そのときが来るまでは先が見えずに不安でしたよ。そして、いまでも、時に不安に襲われる。以前と違うのは、沈んでても、浮き上がる時期が必ず来るって、信じられるようになった事でしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月24日 (木)

実録 クリエイティブ・イルネス

 憂の不安症や気分のムラは今に始まった事じゃなくて、子供の頃から、ありました。生活に支障が出ないだけで。
 そんなとき、今思うと、これって、「つくる」ことで、不安を解消したり、自然と自己カウンセリングしたりしてたんだなぁ、って思います。

 例えば、憂は絵を描くのが好きでした
 授業中(これもストレスですか?)、小学校時代の教科書、ノートは落書きだらけです。  中学校時代は、落書き専用のノート持ち歩いてました。先生とか、クラスメイトの顔かいたりして。

 あと、音楽もやってましたから、悲しい事があると、曲を書くんです、不思議と元気なときよりいいメロディーが浮かびます。自分で何度も弾いてるうちに気持ちがスーッとしてきます。これ、幼稚園教諭になってからもありました。仕事が嫌になると、自分のクラスにこもって、弾きまくりですスピード感のある激しい曲完全に現実逃避ですけど、やっぱり、スッキリするんですよね。

 自分でもすごいなって、今でも思うのは、大学受験の時。
 受験から発表まで一週間くらいあったんですけど、受かる見込みほとんどなくて、でも現実を受け入れるのが怖くて、この一週間で憂は何をしたかというと、長編童話書いてました。ほとんど徹夜です。「がんばったけど希望通りにならない主人公、でも、そのあとにしあわせはやってきた」そんな内容です。自分を慰めるためだけに書いたものです
 意外と今現在、読み返して、自分が元気をもらってますけど。過去の自分にありがとう。

 10代のころって、多感な時期でもあるから、今思うと、いろんな意味ですごいです。かなりな、変わり者かもしれないけど。

 当時は、ただ楽しいって思ってただけだけど、それさえする気力がいざなくなってしまってみると、その大切さが、じわっとしみてきます。

 ただ楽しいって事 = その時間は自分で創っている時間  なのかな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年8月22日 (火)

クリエイティブ・イルネス

 もう1年以上前になりますが、テレビで河合隼雄さん(現文化庁長官で、臨床心理の現場でも活躍された人です)が「うつ病はクリエイティブ・イルネス(創造的病)だ」と、おっしゃってました。「うつ病は、エネルギーの枯渇ではなく、エネルギーが行き場を失っている状態」なんですって。前に進もうとしても、壁があって進めない、エネルギーはあるのに、その方向には使えない。

 そんな時、河合さんは、カウンセリングしている患者さんと一緒にひたすら沈んでいくんですって。共倒れにならないかって?
 河合さんは「一緒に沈み込むけど、患者さんと僕との決定的違いは、僕は希望を捨てない、必ず出口が見つかると信じて一緒に沈むんです」と、おっしゃってました。

 とにかく、沈んで沈んで、底まで行くと、ポッと出口が見つかるらしい。それまでにかかる時間経緯は個人差があるらしいですけど、一様に創造的な面で、エネルギーの使える道が開けてくるんだそうです。ある人は、絵画だったり、ある人は俳句だったり、・・・。
 そういわれると、夏目漱石(作家)、岡本かの子(小説家)、斉藤茂吉(俳人、精神科医)、シルビア・プラス(詩人)、ヘミングウェイ(作家)、太宰治(作家)、宮沢賢治(作家)、ミケランジェロ(画家)、チャイコフスキー(音楽家)、リンカーン(政治家)、ダーウィン(科学者)などなど、創造的な職に就いていた人がうつ病になりやすい事もうなずけます。生みの苦しみと言うやつですね。

 憂は病気になる少し前から、いつも考えてました。幼稚園教諭という仕事。・・・何だか先が見えていて、進めば進むほど、子供との直接のかかわりは減り、園運営、事務、若手の指導、経営者と保育者とのパイプ役、と浅く広くの仕事を求められる。
 憂は自分でも職人気質な所があると思ってて、誰かの評価よりも自分の納得できる仕事ができないと気が済まない。特に子供一人一人の内面に寄り添って、その成長を支えていく、そういう直接的な教育活動ができなくなるって言う事は、ものすごい欲求不満です。
 だから、 このまま仕事を続けても、憂の本当にしたいことは、この先にはないんじゃないか、って気がしてた。だからといって、本当にしたいことってなんだろう・・・。また、迷路です。
 でも、はっきりしてるのは、幼稚園の仕事を続ける限り、憂の葛藤は消えない。「やるべき事」に時間を割いて、「やりたい事」はもっと手を抜けと言われる。やっぱり、不完全燃焼になるんだ。

 それで、ゆっくり、ゆっくり、考えた。沈み込んで考えた。
 それでも、仕事に戻る事が怖くて仕方ないくせに、仕事を捨てられなかった理由。

    ・ 子供が大好きだから
    ・ 人の喜ぶ顔を見るのが好きだから
    ・ 何かを作ったり、歌を歌ったり、ピアノを弾いたり、自分の好きなことをして、人
     を楽しませる事ができるから
    ・ 迷ってる人(親子)の手助けになりたい、弱い立場の人の支えになりたい、誰か
     の役に立ちたいから

 いろいろ考えて、その欲求を満たす手段は、ひょっとしたら幼稚園教育以外の場所にもあるかもしれない、って思うようになった。具体的には、まだ、分からないけど・・・。

 今、憂は物づくりに励んでます。まさにクリエイティブ。そうしていると、気持ちが安らぐんです。できた小物は、片っ端から、友達にあげてます。喜んでくれるその反応がうれしくて。  もちろん、新しい事を始めてみようって思うまでは、ずいぶん沈み込んでましたよ。

 あとは、 これが収入につながる社会的「お仕事」に、どうつなげていくか、・・・焦りは禁物、でも、なんとなく、出口がおぼろげながら見えてきた感じがするんです。

 創造的な活動なんて、今までしたことないよ、という方も、よく考えてみて。「生きる」、それだけでも自分の人生を創造していることになってるとは・・・思いませんかねぇ・・・・・。

| | コメント (1) | トラックバック (0)